昔、山田では田植歌、草取歌、臼挽歌、麦かち歌、子守歌など農作業や生活に根ざした作業歌が歌われていましたが、歌い継がれることもなく多くがすたれてしまいました。
しかし、盆踊り歌「権六」だけは後世に残したいとして保存会が作られ、平成10年(1998)9月30日吹田市地域無形文化財に登録され、地元の盆踊りとして取組む小学校もあります。
権六踊りの由来は、宮大工権六が惚れていた村の娘お杉が“圓照寺の和尚さんに惚れた”という噂を聞いて圓照寺の普請の手を休めてしまった。困った村の善兵衛さんは、お杉が和尚さんに書いた恋文を圓照寺のためにと権六に手渡し、権六は機嫌を直して普請に精を出し、圓照寺は見事に完成したという逸話です。踊りの振りは普請の出来栄えを遠め近めで手をかざす権六の素振りといわれています。
もとは長門(山口県)で慶長あるいは享保年間に起こった赤間が関の引接寺(いんじょうじ)の事件を歌ったものといわれています。引接寺(いんじょうじ)が訛った「エンショウジ」という外題で西日本各地において歌われ、山田に伝えられたとき、地元の圓照寺の宮大工権六の伝説となり、権六踊りとして定着したものと思われます。
√ヤーレソージャ エーーー
それがなさけでござるのうエーーー(アードウシタイ ドウシタイ)
うたえよイナー はやせよ たたけよ太鼓(ソラ ヨイトヨイヤマッカ ドッコイセノセ)
月のイナー世界へ届くヤッコラまでも
さては この場の皆さま方へ
ちょいと出ましたわがまま娘
(以下、省略)